飯田プロがとめた1索 [閑話休題]
動画再生は読み込み中が割と長いです。気長にお待ち下さい。
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飯田正人プロが急逝されて一か月が過ぎました。
大腸癌だったらしいです・・・。あらためて本当に残念です。
飯田正人でググるとたくさんの逸話や動画が見れますよね。
今回貼り付けた動画は和泉由希子プロの三倍満の動画。
モンド決勝戦でのオーラスの場面です。
親は逆転優勝を狙う和泉プロ。
飯田プロは1000点を上がれば優勝が決定する緊迫した場面。
ドラは東。2Sポンして簡単にドラと白を暗刻で1-4S待ち親倍聴牌。
とにかく1000点を上がれば優勝する大魔神。
良い牌姿でタンヤオを狙う場面でツモ1S。
聴牌を感じ取っていたか、染め手に1牌たりとも鳴かさない気だったのか、
今となっては永遠にわかりませんが、見事1Sを止め切った大魔神。
まだ7順目。とにかく1000点を上がれば優勝と言った場面。
あなたは止められますか?
私?ナメたらあかんぜ・・・
ぜんぜんムリっすわ(-。-)y-゜゜゜
あ、最終的に3倍満に仕上た和泉プロが逆転優勝します。
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雀鬼流牌の音 回想編 [雀鬼会牌の音体験記]
以前おじゃまさせて頂いた牌の音町田道場。
本ブログではアクセス数がむちゃくちゃ高いので、せっかくですから回想編。
心臓が飛び出しそうな心境で、初めて牌の音町田道場に行ったのはもう2年前。
幸運にもあのリアル雀鬼にお会いできた日。その続きの実話です。
フリー雀荘へ行って来ました(雀鬼流 牌の音町田道場編)←参照
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いつの間にか肩越しに私の駄麻雀を覗かれておられた伝説のリアル雀鬼。
皆さん、その時の心境をご自分に置き換えて想像してみて下さい。
とても冷静に麻雀は打てないと思います。私が完全にパニクっていた次の局。
雀鬼は次に私の下家にいた大阪から訪れた若者の後ろへ廻る。
この若者はお世辞にも打てるというレベルではまだありませんでした。
和了っても指を折りながらうやっと役を言える程度のまだ初心者の部類。
彼の後ろで手牌を見つめながら7順目位に口を開く雀鬼。
雀鬼「それじゃねーよ、こっち切んだよ。そしたらこれがこーなるだろ」
若者「あーそっかー、はい」
肩越しに牌を並べ替えて指導する雀鬼。次のツモ
雀鬼「うん、そしたらこれ切って、次あたり上家からここが出るからね。そしたら鳴くんだよ」
ん?上家って俺のコト?だって俺の手牌見てないじゃん。そんなバカな!
次のツモでイーシャンテンになったので不要牌を打ちだす。(何だったか覚えてません)
雀鬼「ほら出た。それチーして。はい聴牌ったからドラ切って」
若者「はい!」
ありゃま(-_-;) ほんとだわ
次順。
若者「ツモ!」
雀鬼「うん!ツモったね。はいマンガ――ン」
ありゃま2(-_-;)まじっすか
雀鬼「普段こんなふーにオレ教えねーんだよー。ラッキーじゃん。たっかいぞーー」
少年のような笑顔を見せた。そう、ちょっといたずらっ子のような。
そのラッキーな若者もそろそろ社会人かな。まだ麻雀打ってるかなあ?
それにしても、何で次に俺からそこが出るとわかったんだろう(ー’`ー;)
手牌見てないのに・・・。その内ってならならわかるけど次って予告されたし・・・
20年間無敗で伝説の雀鬼の超越したその片鱗をちょっとだけ見た瞬間でした。
時代の流れでしょうか、牌の音下北沢店は先だって閉められたそうです。
確かにその名前から敷居がちょっと高いかもね。
道場だからね。ビビっちゃうよね。でもそんな事ないんだけどね。
近い内、友人のフシツバさんかオッキーさんあたりがきっと行ってくれるはずです!
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内田塾に行ってきました [つまてつの雀荘さんぽ]
先日の日曜日、本厚木よつば会にて麻雀連合μのツアー選手内田Tさんが多忙の中、内田塾なるものを 開催してくださいました。参加者は4名限定。
アルシーアール麻雀って知ってますか?
見栄張っても仕方ありません。私は知りませんでした。
以下、アルシーアールでぐぐって以下参照。
アルシーアル麻雀は、戦前日本で行われていた麻雀の通称です。訛(なま)って「アルシャール」とも言います。
これは太平洋戦争前に主流であった麻雀の通称です(現在ではほとんど行われていませんが、日本麻雀連盟やスポーツ麻雀など、一部で行われています)。
アルシーアルのアルは二、シーは十の中国読み。そこでアルシーアルとは二十二という意味になります(普通はアルシーアルが訛ってアルシャールと発音されます)。
そして第2次大戦前主流であった麻雀は、最低の得点となるアガリの場合、基本点(連底)が二十二点でした。
連底がそれより低いアガリには二十点というアガリがあります。しかし二十点のアガリは符底20符のみのアガリですからアガリ型は平和(ピンフ)に決まっています。
古典麻雀では食い平和の一翻ありでしたから、平和(ピンフ)のみ二十符のアガリは二倍され40符のアガリとなります。これが子のアガリであれば四倍されますから、得点は160点となります(親なら6倍されるので240点)。
ところが二十二符の役無しのアガリですと(古典麻雀には一翻縛りはありません)、二十二符を2倍にすることができません。そこでいきなり4倍するのですが、当時の日本麻雀は四捨六入法を採用していました(中国古典麻雀は精算法)。
そこで二十二符を4倍する前に四捨六入すると二十符になります。そしてこれをそのまま4倍すると結局、得点は80点となります。つまり二十点のアガリは160点になるのに、二十二点のアガリは、その半分の80点になってしまうわけです。
これは当時の最低点のアガリです。そこでこのような特徴をもった麻雀を二十二麻雀、あるいは単にアルシャールと通称したのです。
現在の麻雀を立直麻雀と通称するのは、これが現在の麻雀の特徴、つまり二十二麻雀には立直が無かったわけです。
このほか、一般高(イーペーコー)・三色(サンシキ)・七対子(チートイツ)・純全(じゅんチャン)・両般高(リャンペーコー)・緑一色(リューイーソー)などの役がありませんでした。もちろんドラは問題外です
昔の麻雀は満貫止まり立ったわけです。映画「麻雀放浪記」でドサ健が出目徳と勝負の際、現代の麻雀のように青天井ルールで打った場面はあまりにも有名ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=NEz6UeBmdTI
↑上は麻雀放浪記の動画の一部です。直接貼り付けたら重くなりましたのでクリックして飛んで下さい
このアルシーアール麻雀を題材に、内田T(μツアー選手)がオリジナルの教材として改良、指導して下さったものです。主だったルールは以下のとおり。
役なしでもあがれる
リーチなし、ドラ自体がなし、積棒なし、ツモピンなし
三色、イーペーコー、チートイツなし
親はあがり連荘、ノーテン罰符なし
原点(25000)より浮いたら勝ち、沈んだら負け
この麻雀の意とするものは聴牌読みなんだそうです。
半荘1回+東風1回やりました。内容はノー和了、ノー放銃で何も出来ず。(-_-;)
この日同卓したメンホンチートイツのN口さんはブログの中で
自分が打ったぬるい牌について記事を載せておられます。
私なんかぬるい以前に、ただふわりと打った牌、
意味もなく自分の都合だけで打った牌が1局ごとのオープン検証で
そのままズバリその時の心境を言い当てられたように指摘されてしまいました。
この時下家は聴牌 してると思いました?それともノーテンだと思いました?
気持ちはわかるけど、この局面でこんな牌をふわりと打ち出すと
相手になめられますよ。みたいな・・・
麻雀は4人で打つもの。飛び出したTOP者に対し、残りの3人は協力し合い
連荘を止めなければならない。
それにはそれぞれの信頼関係がとても大事だという事。
麻雀パラダイスロストのつかぴょんさんの記事にも同様にどうしたら
理解してくれるのだろう必死のメッセージがこめられています。
他にも押し引きについてや基本的な聴牌読みなど他にもいろいろご指導頂き
本当に勉強になりました。内田様、同卓者の皆様ありがとうございました!
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BEST10続き 飯田正人プロ逝く [その他]
アクセスランキングでわずか10日間掲載なのに11位に位置するほどアクセス数が高かった
大魔神飯田正人プロ逝く アクセス総数23万件のなかで一番の急上昇記事でした。
飯田プロ急逝については土田プロのコラムややロッキーさんのブログでもあつかっておられます。
←ごくまれにあの福地誠先生の上にいたこともありますが出直した今は地獄の底におります。クリックして笑って下さいな(-。-)y-゜゜゜麻雀 ブログランキングへ